スマホ病 2019 8 10
人類を滅ぼすのは、核兵器ではなく、スマホか。
自動車評論家によると、車が若者に売れないという。
その原因は、スマホにあるという。
私が大学生の頃は、多くの若者にとって、
恋人を助手席に乗せてドライブするのが夢だったのです。
「電車でデート」は、「ダサい」ことの象徴だったのです。
だから、多くの人が、18歳になると、
我先へと車の運転免許を取得したものでした。
免許が取得できると、問題は、車の取得でした。
当時は、貧乏学生が多かったこともあり、
若者にとって、車は「高根の花」でした。
だから、父親の車を借りて、
デートの待ち合わせ場所へ行ったけれど、
中年好みの車では恥ずかしかったという体験をした若者が多かったと思います。
さりとて、いくらアルバイトをしても、
スポーツカーを買う資金はありません。
さすがに、息子のために車を買ってあげる「親ばか」はいませんでした。
結局、アルバイトで貯めた資金で、
まるで20年も前と思えるような中古車を買った若者が多かったのです。
私は、「そんな幽霊のような車を買っても、女性にはもてない」と思いましたが、
何しろ、当時は、電車でデートするのは、「ダサい」ことの象徴であり、
友人たちに「お笑いの対象」にされたほどでした。
そもそも、女性に「電車でデートしよう」と言った途端、
全く相手にされないという世相でした。
つまり、車も運転できないような人は、男らしくない。
男らしくなければ、女性にもてない。
そういうわけで、当時は、学業も忘れて、
免許取得、中古車の購入に明け暮れたものでした。
さて、現代に戻りましょう。
今は、若者の「車離れ」どころか、
車の運転免許取得に関心がない人が増えたという。
その結果、本人を確認するための証明書がない若者が増えたという。
中年以上の人たちは、若い時に、
競って車の免許を取得したので、99%の人が免許証を持っているでしょう。
だから、銀行口座やクレジットカードを作る時は、
免許証を見せれば簡単に手続きが終わりますが、
もし、免許証がないと、厄介なことになります。
ところで、今の若者には、物欲どころか性欲もないという話も聞いたことがあります。
昔の若者は、「あれも欲しい、これも欲しい」という物欲の塊でした。
だからこそ、「免許取得→車取得」は、そういう物欲エネルギーの一環だったでしょう。
しかし、今は、中高年の人が、若者に対して、
「車がないと女性にもてないよ。
だから、車の免許を取りに行きなさい」と言っても、説得力がないのです。
教習所に通うのは面倒くさいと思うでしょう。
さらに、そもそも女性にもてたいとは思わないので、
免許取得の原動力にはならないのです。
以前、「結婚できない男」というドラマがありましたが、
今は、「結婚できない」ではなく、
「結婚を面倒くさい」と思う人が増えたということでしょう。
なぜ、そうなってしまったのかというと、スマホがあるからです。
スマホがあれば、それなりに楽しめて、1日が終わります。
ゲームもあれば動画もあり、スマホの中で「疑似恋愛」ですら体験できるでしょう。
こうなると、外へ向かうべき関心が、内へ向かってしまう。
朝起きたらスマホ、通学の電車でもスマホ、授業中でもスマホ、
授業が終わったらスマホ、自宅に帰ってもスマホ。
こうなると、女性と知り合う機会がないどころか、
女性と知り合うことすら面倒くさいと思うようになるでしょう。
人類を滅ぼすのは、核兵器ではなく、
結婚させないこと、子どもを作らせないことでしょう。
その原因になり得るのは、スマホかもしれません。
素敵な女性が近くにいても、
朝起きたらスマホ、通学の電車でもスマホ、授業中でもスマホ、
授業が終わったらスマホ、自宅に帰ってもスマホでは、
素敵な女性と同じ空間と同じ時間を共有していても、
永遠に出会うことはないでしょう。
そもそも、スマホでエネルギーを費やしてしまい、
女性に対する関心がなくなってしまうかもしれません。
そうなると、結婚しない、子孫は残さない。
スマホを見ることで、人生が終わったということになるでしょう。
人類を滅ぼしたのは、意外にもスマホだったと、
生き残った後世の歴史家は書くのかもしれません。
あるいは、こう書くかもしれません。
為政者にとっては、国民を監視する道具になった。
国民全員がスマホを持つことで、それが可能になった。
さらに、政府に向かうべき不満がスマホという娯楽で解消されたと、
後世の歴史家は書くのかもしれません。
そして、21世紀の半ばには、
「スマホからの自由」を求めて革命が起こったと書くかもしれません。
革命家は、「朝起きたらスマホ、通学の電車でもスマホ、授業中でもスマホ、
授業が終わったらスマホ、自宅に帰ってもスマホ」という「牢獄」から、
人類を開放したと主張するかもしれません。